この問い、あなたの中にもありませんか?
この問い、あなたの中にもありませんか?
――「私がいなくなったら、この子はどうなるんだろう?」
毎日の子育て、病院の付き添い、園や学校とのやりとり、書類の山、予定の管理……
気づけば、「この子の生活の窓口」は、いつも自分
それがママであることが、きっと多いのではないでしょうか
パパももちろん大事に思ってくれてるし、協力もしてくれるけど、
なんとなく“育てる実務”のほとんどが自分に集中していて、
それを「当たり前」として過ごしている方も少なくありません
そんな日々のなかで、
はっきり言葉にするわけじゃないけど、
ふとよぎる不安があります
「私がいなくなったら、この子はどうなるんだろう?」
◆ 特別じゃない “もしも” の不在
「いなくなる」と聞くと、すぐに “親なきあと” を連想して、
どこか縁遠いものに感じてしまうかもしれません
でも実は、もっとずっと身近な “いなくなる” もあります
たとえば、体調を崩して寝込んだ日
ぎっくり腰で動けなくなったとき
自分の親の介護が急に始まったとき
数日だけ、入院することになったとき
そんなちょっとした “自分の不在” で、
家庭のバランスが一気に崩れてしまった…という経験はありませんか?
◆ 「この子のことをわかってるのは、私しかいない」?
特性のある子どもを育てるということは、
マニュアルでは対応できないことがたくさんある、ということ
✔ 薬の飲ませ方
✔ ごはんのこだわり
✔ 怒ったときのサイン
✔ 不安なときの安心の仕方
✔ 言葉では伝えられない「本人なりの意思表示」
それを一番わかっているのが、保護者
そして、日常のほとんどを見ているママ
でもそのことが、
「私がいないとどうにもならないんじゃないか」
「この子は誰にどう伝えられるだろうか」
という不安につながることもあります
◆ パパとの温度差も、しんどさのひとつ
この手の不安って、パパに話しても
「そんなに心配しなくても…」と、ふんわり流されてしまったり、
「まあ何とかなるよ」と楽観されて、モヤッとすることも。
悪気があるわけじゃないけれど、
本当は「一緒に考えてほしい」「理解してほしい」という想いがすれ違ってしまう
そんな声も、実際によく耳にします
◆ 児童発達支援として、できること
私たちは、保護者の代わりにはなれません
でも、「この人たちなら少し任せてもいいかもしれない」と思ってもらえる存在には、なれると思っています
-
子ども自身が「自分の気持ちを伝える力」を育んでいくこと
-
支援者との間に「この人にもわかってもらえた」という経験を重ねること
-
保護者が「全部自分じゃなくてもいいんだ」と思える瞬間があること
それは、ほんの少しの自信と安心につながっていきます
◆ “完璧に備える”のではなく、“備えていける” 文化を
「親なきあとにどうするか」は、たしかに重たいテーマです
でも、今すぐ全部決めなければいけないわけではありません
それよりも、
「何かあったときに慌てないように、少しずつ備えておく」
そんなふうに、支援のなかで “文化” として育てていけたら
✔ 相談支援専門員に日常の困りごとを共有しておく
✔ ショートステイなどの制度を “知っておく” だけでもOK
✔ 支援記録や伝達方法を、家族の誰もが見られる形にしておく
✔ 日常のなかで、子どもが「伝える経験」を積める場を確保しておく
◆ さいごに:あなたの不安は、きっと自然なものです
「私がいなくなったら、この子はどうなるんだろう?」
この問いに、すぐに答えは出ないかもしれません
でも、その不安を “なかったこと” にしないでいいと思うのです
むしろ、それだけ日々向き合っている証です
そして、その声にならない問いの隣に、
ちゃんと立ち続けられる支援でありたい
いなくなったらどうしよう、ではなく
いなくても大丈夫かもしれない、と感じられる日が来るように
そんな未来のために、今できることを、これからも一緒に考えていきます