人は、登るしかないときがある

⛰ 山の日に寄せて

荷物を降ろせないまま、登っている


山を登るというのは、
思っているよりずっと、しんどいものです

「なんでこんなに苦しいんだろう」と立ち止まりたくなることがあります
景色を楽しむ余裕なんてなくて、
ただ足元だけを見つめて、
一歩一歩をつなぐのに精一杯で

自分がなぜこの道を選んだのか、わからなくなることもあります

それでも、人は進もうとします
下りることも、立ち止まることもできずに、
ただ、足を前に出し続ける日があるのです

登る理由も言葉にならないまま


子育ても、支援も、人生も──
どこか登山に似ていると感じます🧗‍♀️

それぞれの人が、それぞれの山を登っている
誰に認めてもらうでもなく、
静かに、自分だけの荷物を背負って


仏教には、
「執着という荷物を降ろすほど、登りやすくなる」
という教えがあります

たしかにその通りかもしれません
けれど、実際には、そう簡単に降ろせるものではありません

過去の出来事や、自分への否定、
誰かの言葉に傷ついた記憶──
自分でも手放せないものを、他人が軽くすることなど、できるわけがないのです


それでも、私たちの役割は、
「あなたがそれを背負っていること」に気づくことだと思っています

無理に降ろさせるのではなく、
無理に忘れさせるのでもなく、
その重さごと、今ここにいるあなたを認めること

「それ、重たいですよね」と、そっと声をかけること
子どもにだって言葉にできない、重い荷物がある
無理に持とうとしない、無理に降ろさせようともしない

支援とは、そういうまなざしの積み重ねではないでしょうか


自然は、語ることも押しつけることもなく、
ただ、そこに在り続けます🌿

変わらないようで、
季節とともにゆっくり姿を変えていく
山もまた、決して逃げず、どんな時も、そこに佇んでいます

私たちの支援も、そうありたいと思うのです


目の前の子どもたちに、
あるいは仲間に、家族に、
「登らせよう」と焦るのではなく、
「その人がその人らしく登れるように」
隣を歩きたいと願います

ルートも、速度も、荷物の重さも──
人それぞれ違っていていいはずです


山には、正解の道はありません
少し遠回りに思えても、
その人にとって意味のある道であれば、それがすべてです

誰の山も、他の誰かと比べることはできません
だからこそ、それぞれの山にしか見えない景色が、きっとあるのだと思います🌄


今日、山の日。
無理に登らなくてもいい日です
ふもとにいるだけでも、
空を見上げるだけでも、
私たちは山とつながっていられます

今、どこかで踏ん張っている誰かに──
「よくここまで来ましたね」と、
心の中で、そっと伝えたくなります

そして、自分自身にも


荷物を降ろせないままでも、登っている
それだけで、十分すごいことです


お知らせ📢

8月13日(水)〜17日(日)は、夏季休業とさせていただきます
お問い合わせや見学のご予約は、18日(月)以降に順次ご対応させていただきます
どうぞよろしくお願いいたします

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