INTRODUCTION|止めることと、罰することは同じか
──「強く言えば伝わる」は、本当に正しいのか
Chapter2では、
「やり返したい気持ち」を見ました
今回は、
少し立場を変えます
やり返すのはダメ、と言ったあと
その次に、大人は何をするのか
止める。
それだけでしょうか
「一度、きちんと叱った方がいい」
「痛い目を見れば分かる」
「罰する」という選択を、
無意識に使っていないでしょうか
それは、
止めたいという願いなのか
罰したいという感情なのか
ここで言う“罰”とは、
相手に苦痛や恐れを与えて行動を
変えようとする関わりのことです
今回は、
その曖昧な境界線を、
一度、正面から見つめてみます
Chapter 3|罰
──「お仕置き」は哲学的に正当か?

ブルバ
代表……
今日、きつく言ってしまいました
代表
うん。どんな場面だったの?
ブルバ
〇〇くんが、
△△くんの嫌がることを、
何度もやめなくて
△△くんは困ってるのに、
ちょっとニヤニヤしていて……
正直、
わかっててやってるのか、
ただ面白がっているだけなのか、
判断がつかなくて
代表
ああ……
その“判断つかなさ”は、しんどいね
ブルバ
止めなきゃ、と思って
声も強くなって
空気も、ちょっと凍って
その場は止まりました
でも……
なんか、違う気がして
代表
正直に言うとね、
僕も感情が乗ることはあるよ
ブルバ
……え。ありますか?
代表
何度もあるよー
ブルバ
……やっぱり、ありますよね
「困っている子がいるよ」
「嫌だって子がいるよ」
「やめなよ」
伝えても、やめないとき
わざとなのか、
わかっていないだけなか、
判断できないとき
「一度、強く言わないとダメかな」
そう思う瞬間
代表
もちろん、あるよ
でもね、大事なのは
感情が出たことじゃない
そのあと、どう扱うかだよ
もし、分かっていなかっただけなのだとしたら?
そのとき必要なのは、罰だろうか
僕も過去には
代表
昔ね、
僕も強い声で止めたことがある
大きく強い声で、
圧をかけて
その子は、それをやめて
場も静まったよ
あの瞬間、
「僕は“正しいことをした”」と思ったよ
でも。。。
ブルバ
……でも?
代表
その子は数日間、目を合わせなかったね
必要なことしか話さない
以前よりも、距離ができた
止まったけど、
育ってはいなかった
罰と怒りの距離
罰は、効くことがあります
怖さには、即効性があります
だからこそ、
とても魅力的でもあります
しかし同時に、
心が閉じることがよくあります
罰が危うくなる瞬間は、
「教育の名を借りた怒りの放出」
になったときです
けれど、怒りそのものは悪ではありません
怒りは、
-
・守ろうとする感情
・境界を引こうとする感情
でもあるからです
問題は、
怒りが “終着点” になることです
罰は、育てる力になるとは限らない
罰は、秩序を守る機能を持つこともあります
同じことを繰り返させない力になることもあります
しかし、
育てる力になるとは限りません
ここで私たちは立ち止まります
-
・関係の修復
・傷ついた心のケア
・自分の後悔
手っ取り早い方法は、
たいてい後で高くつきます
強く言えば、その場は収まる
でも、あとで
ずっと大きなエネルギーを要することがあります
怒りは誰にでも起こる感情です
大切なのは、
怒りを持たないことではありません
怒りで終わらせないことです
代表
あのときね
あとで、その子を呼んだよ
怒ったことではなく、
怒りで関わったことと
向き合うために
「この前、強く言いすぎたね。ごめんね。
あれはただの怒りだったね」
言い訳はしなかった
「本当は、どういう気持ちだった?」
その子はしばらく黙って、
やがて言った
「……面白かっただけ」
困っているとは、
本当の意味では分かっていなかったのかもしれない
あの出来事があったから、
僕は「怒りで止めること」と
「育てること」は違うと、本気で考えるようになった
今でも、もう少しやり方があったんじゃないかと考えます
強く言ったあと、
少し胸がざわついたことはありませんか
困りごとは、悪か?
支援現場で起きる行動の多くは、
悪意よりも未熟さ、
理解の不足、
不安や混乱から来ています
それを「悪」として扱うのか、
「課題」として扱うのか
ここで支援は分かれます
矯正と支援の違い
矯正は、
行動を正しい形に戻そうとします
支援は、
なぜその形になったのかを探します
・矯正は、外から整える
・支援は、内側を育てる
どちらも必要な場面はあります
しかし、
それを「罰」という形で行うとき、
そこに自覚があるかどうか
私たちは、
“怖がらせる力”よりも
“理解する力”を選びたい
Blue Birdでは、
行動を止めることよりも、
その背景を理解することを大切にしています
🤲 私たちの支援の考え方を知りたい方へ
それでも、
迷わない日はありません
悪か正義か、
罰は、
悪か正義か、
そんな単純な話ではありません
それは、
大人が「力」を持っているという事実の問題です
止めることと、
罰することは同じなのか
守るための力と、
支配する力は、どう違うのか
その問いは、
簡単には片づきません
怒りのあと、戻ってくる強さ"REBOOT"
ブルバ
怒らない人が、強いんでしょうか
代表
いや。
怒らない人が強いんじゃない
怒りのあと、"再起動(REBOOT)"して
ちゃんと戻ってくる人が強いんだ
僕は、できるだけ
そういう大人でいたいと思っている
罰は未来を広げたか
それはきっと、
そのやり方で
その子の未来が広がったかどうかでしか
測れないのかもしれません
その罰は、
子どもの成長のためでしょうか
それとも、
大人の安心のためでしょうか
罰は、正当化しようと思えば、いくらでもできると思います
でも、本当に問うべきは——
それがその子の未来を広げたかどうかなんだと思います
次回予告
Chapter 4|権威
──親は、子どもに命令できるのか?
罰の次に待っているのは、
もっと根の深い問いです
大人は、どこまで決めていいのか
子どもは、どこまで従うべきなのか
力と責任の境界線を、
もう一度、考えます
また一緒に、
立ち止まりましょう