逆転スペクトル Chapter2|「やり返したい気持ち」と復讐を考える

INTRODUCTION|叩き返さなかった、その一瞬に

──「やり返したい気持ち」を、善悪で切らないために

Chapter1では、
子どもたちが「わがまま」に見える言葉の中で、
実は一生懸命、
自分なりの権利を使おうとしている姿を見てきました

通ることもあれば、
通らないこともある

それでも、

 言ってみる
 理由を聞く
 また考え直す

その往復そのものが、
世界との関係を学ぶプロセスだ、
という話でした

けれど、
権利の話が少し分かり始めた頃、
必ず、次の問いが現れます

それが、
「やられたら、どうするか」という問題です

 叩かれた
 取られた
 ずるいことをされた

そのとき、
子どもたちの中に浮かぶ、とてもまっすぐな考え

同じだけ、やり返したい

この考えは、
とても原始的で、
とても論理的で、
そして、
とても扱いにくいものです

なぜならそこには、
「平等」という言葉が、
ぴったり重なってしまうからです


Chapter 2|復讐

──「やられたらやり返す」は平等か?


実際の現場で、
叩いた・叩かれたという出来事が
頻繁に起きているわけではありません

それでも、
この問いだけは、
形を変えて何度も現れます

ブルバ
代表……
また今日も、ちょっと考え込んでしまって

代表
お、今日は何があった?

ブルバ
〇〇くんが、
△△くんに叩かれたんです

で、泣きながら言うんです

「叩かれたから、叩き返していいでしょ?」

代表
あー……
来たね、その問い

ブルバ
はい……
正直、一瞬、
「気持ちは分かる……」って思ってしまって

だって、
何もしてないのに叩かれたら、
納得いかないですよね

代表
うん、そうだね
そこ、すごく大事なところだね


子どもにとっての「平等」

子どもにとって、
「やられたらやり返す」は、
とても分かりやすいルールです

 叩かれた
 だから叩き返す

 取られた
 だから取り返す

そこには、
複雑な条件も、
長い説明もありません

同じことを、同じだけ返す

これ以上ないほど、
シンプルで、
納得しやすい基準です

だからこそ、
子どもはこう言います

 「同じでしょ?」
 「ずるくないよね?」
 「平等じゃん」

この言葉は、
反抗ではありません

むしろ、
世界を理解しようとする、
かなり真面目な試みです


大人が止めたくなる理由

それでも大人は、
多くの場合、こう言います

 「やり返しちゃダメ」
 「叩いたら、どっちも悪い」

ここで、
子どもと大人の間に、
ズレが生まれます

子どもは、
出来事の釣り合いを見ています

大人は、
これから起こることを見ています

 やり返したらどうなるか
 エスカレートしないか
 別の子が巻き込まれないか

どちらが正しい、
という話ではありません

見ている時間の向きが、
違うだけです


「同じだけ返す」の落とし穴

ここで、
少しだけ立ち止まって考えてみます

もし、
「やられたらやり返す」が、
本当の平等だとしたら

 強い子が叩けば、
 弱い子は、同じだけ返せない

 言葉が得意な子は、
 うまく言い返せる

 泣いてしまう子は、
 それすら出来ない

つまり、
同じルールなのに、結果が偏る
ということが起こります

このときに浮かび上がってくるのが、
「平等」とは少し違う、
「公平」という考え方です

子どもたちは、
まだその言葉を知りません

けれど、
この違和感を、
ちゃんと体で感じています

だからこそ、
時々こんな言葉も出てきます

 「ずるい」
 「なんであの子はいいの?」

それは、Chapter1で見てきたように、
頭で分かっているからではなく、
「自分の気持ちは、ちゃんと扱われたか」を、
体に少しずつ残していく途中だからです

ここで、 少し極端なたとえ話をします

ただし、
ここで伝えたいのは、
「復讐はダメ」という結論ではありません

「同じだけ返す」という分かりやすさが、
本当に、気持ちを守る方法になっているのか
という問いを、
一度立ち止まって考えてみたいのです

もし、
誰かに目を傷つけられたとして

「目には目を」と言って、
相手の目を同じように傷つけたら?
それで、
自分の目は見えるようになるでしょうか?
失ったものは、
戻ってきません
ただ、
見えない人が、
二人になるだけです

暴力が、次の暴力を呼ぶ構造
その中に、
自分が組み込まれていきます


復讐は、気持ちを守る方法?

それでも、
やり返したい気持ちそのものは、
否定できません

 叩かれた痛み
 取られた悔しさ
 無視された悲しさ

それを、
なかったことにされたと感じたとき、
自分の存在まで、
軽く扱われたように思えてしまうからです

やり返したい気持ちは、
単なる攻撃性ではありません

それは、

 これ以上、傷つきたくない
 自分は弱くないと周囲に示したい

という、
自己防衛でもあります

もし、
何も返さなければ

 「あいつには、やっていい」
 「言い返してこない」
 「やり返してこない」

そんな周囲からの評価は、
いじめの標的になりやすくなることを
子どもは本能的に知っています

だから、
「やり返さない」は、
とても勇気のいる選択です

それは、
自分を守ろうとする、
とても切実なサインでもあります


大人が出来る、もう一つの役割

ブルバ
じゃあ……
やり返しちゃダメって言うしか、
ないんでしょうか

代表
「ダメ」だけで終わらせると、
たぶん、
その子の中には残らない

ブルバ
……残らない?

代表
うん
「止められた」記憶だけが残る

でもね、
ここで出来ることは、
もう一つある

それは、

 そのとき、何が起きたのか
 そのとき、どんな気持ちだったのか
 を、
 その子の外に出す手伝いをすること

ここで少しだけ、
私たち大人の立ち位置について補足します

Blue Birdでは、
叩く・叩かれるといった場面に対して、
「その場しのぎ」ではなく、
子どもの経験として何が残るかを大切にしています

具体的な考え方や対応の方針については、
こちらにまとめています。
他害行為への対応方針 ―「止める」より先に、「守る」と「考える」を大切に―


「返す」以外の選択肢を知る

叩き返す前に、
大人が間に入る

 「今、どんな気持ち?」
 「何が嫌だった?」

すぐに言葉にならなくても、
大丈夫です

大事なのは、

同じことを返さなくても、
自分の気持ちは守っていい

という経験を、
少しずつ体に残していくこと

これは、
教え込むものではありません

何度も、
同じ場面を行ったり来たりしながら、
体で覚えていくものです


やり返さない=我慢、ではない

ここが、
一番誤解されやすいところです

「やり返しちゃダメ」は、
「我慢しろ」と同じではありません

本当に大事なのは、

力で返さなくても、
 状況を変える手段がある

と知ることです

 大人に伝える
 言葉で止める
 距離を取る
 場を変える

これらはすべて、
「負け」ではありません

むしろ、
関係を壊さずに、
自分を守る方法です


成長がにじむ、もう一つの瞬間

ある日、
また同じような場面が来ます

 叩かれた
 でも、叩き返さない

代わりに
大人の方を見て、
一言

 ……やだった
 ……やめてほしい

それは、
負けたからではありません

これまでの経験の中で、

 気持ちは消されなかった
 守ってもらえた

その記憶が、
選択を変えただけです

これまでのやり取りの中で、
 「気持ちは消されなかった」
 「守ってもらえた」
という経験が、
体に残っていただけなのです


復讐を止めることが、目的ではない

正直に言います

子どもが、
毎回うまく言葉で伝えられるようになる、
なんてことはありません

 時間がかかります
 何度も失敗します
 叩き返す日も、
 また来ます

それでいいと、
私は思っています

成長は、一直線ではないからです

大事なのは、

 なぜ止められたのか
 気持ちは消されなかったか
 守られたか

そこに、
考え直せる余白が、
残っているかどうか


復讐を手放すとは

復讐をしないことは、
善か悪か、
という単純な話ではありません

それは、
自分を守ろうとする、
とても人間らしい反応です

だからこそ、
急いで答えを出さずに、
一緒に立ち止まりたい


次回予告

Chapter 3|罰

──「おしおき」は哲学的に正当か?

次に待っているのは、 さらに輪郭の曖昧なテーマです

止めることと、罰することは同じなのか

誰が、どこまで決めていいのか

また一緒に、 考え続けていきましょう