INTRODUCTION|その「言うことを聞きなさい」は、 どこから来るのか
子どもに対して、私たちは驚くほど自然に命令をしています
「早くしなさい」
「いいからやりなさい」
「言うことを聞きなさい」
言っている側は、あまり深く考えていない
それが “当たり前” だからです
でも、もし子どもにこう聞かれたらどうだろう
「なんで大人は命令できるの?」
この問いに、私たちはきちんと答えられるだろうか
Chapter 4|権威
──人はなぜ「言うことを聞く」のか?
子どもの疑問|なんで大人は命令できるの?
ブルバ
代表
ちょっと聞いていいですか
代表
どうしたの?
ブルバ
なんで大人って
「言うこと聞きなさい」
って言えるんですか
代表
うーん
いい質問だね
ブルバ
だって
もし、友だちに
いきなり「今すぐ片付けろ!」
なんて言ったら
絶対ケンカになりますよね
代表
たしかにね
ブルバ
でも子どもには
普通に言いますよね
代表
うん
ブルバ
それって
なんでなんですか
代表
正直に言うとね
その答えを
ちゃんと考えたことがある大人は
そんなに多くないかもしれない
ブルバ
え。。
そうなんですか
代表
うん
当たり前だから
という理由で
続いていることも多いんだ
大人の言うことは「正しい」
ただそれだけ
正しさは、人を動かすのか
人ってさ、“正しいから動く” わけじゃないんだよね
むしろ、“この人の言うことなら聞いてもいい”って思えるかどうかの方が大きい
ブルバ
それって、信頼ってこと?
代表
うーん、もう一段手前かな。。“安心”
ブルバ
安心??
代表
この人は自分を傷つけない、とか
この人はちゃんと話を聞いてくれる、
わかってくれる
そういう前提があるかどうか
、、ブルバは少し考え込む
ブルバ
でもさ、専門家とかには頼るじゃん?
税理士とか、警察とか、
代表
そうだね
頼るね
ブルバ
それって、正しいことを知ってるからじゃないの?
、、代表は首を横に振る
代表
それもあるけど、それだけじゃないよ
“この人になら、話しても大丈夫”って思えるからだよ
なぜ、その人に頼るのか
代表
例えばね
見ず知らずの通りすがりの人に、自分のトラブルを全部話す?
ブルバ
いや、それは無理かな
代表
顔見知りくらいの人は?
ブルバ
それも、内容によるかな…??
代表
だよね
人が誰かに頼るときって、
“正しいことを知っているか”
“この人は自分を害さないか”
“
ブルバ
なるほど、、
代表
人は、正しさに従うんじゃなくて、
命令の正体
代表
じゃあさ
命令って、なんなんだろうね
、、ブルバは少し眉をひそめる
代表
シンプルに言うと、
“従わなかったときに不利益がある指示” とでもいうの
ブルバ
ああ
怒られるとか、評価が下がるとか、罰があるとか?
それって、前回の“罰”の話ともつながるね
▶逆転スペクトル Chapter3|罰と「お仕置き」を考える
代表
そう。だから命令って、“納得して動く” んじゃなくて、
“仕方なく従う”仕組みなんだよ
ブルバ
それって、あんまりいい感じしないね
代表
うん
でも、日常では普通に使われてしまっている、、
命令って、本当は
その子が将来
自分で考えられるようになるための
助けであってほしいよね
親は、なぜ命令できるのか
ブルバ
じゃあさ、
親って、なんで命令できるの?
代表
たとえば、
力があれば相手を動かすことはできるよね
でも、それが「していいことか」はまた別の話になる
、、ブルバは黙って考える
代表
それって、
親子の関係でも少し似ている気がしていてね
「言うことを聞かせることができる」ことと、
「命令していいかどうか」は、
同じじゃない気がするんだ
代表
少し極端にいうと
大人だから命令できる、っていう感覚は、
相手を自分の所有物みたいに扱ってる感覚に
近づいてしまうこともある
命令が機能する条件
ブルバ
でもさ
命令が必要なときもあるよね
危ないときとか
明らかにダメなこととか
代表
あるね
ブルバ
飛び出しそうなときとか、説明してる余裕ないし
代表
そうだね
ブルバ
そういうときは?
代表
“止める” が優先される
命令って、その言葉が
導きだったのか
それとも
ただの力だったのか
子どもは、まだ経験が少ないから
一人では気づきにくいこともある
だから、ときには
少しだけ判断を貸すこと
その命令は
その子が将来
自分で考えられるようになるための
助けになったでしょうか
それとも
ただ
その場が
静かになっただけでしょうか
もし「権威」というものがあるとすれば
それはきっと
その命令が
いつか必要なくなるように
使われたとき
なのかもしれません
ブルバ
権威って、“命令できる力” みたいに
見えることもあるけど、
本当はそうじゃないのかもしれないね
代表
そうだね
一般的には「権威があるから従う」って思われるけど、
実際はその前に「安心」があることの方が多いんじゃないかな
子どもが
自分で考えて
自分で決めて
自分で責任を取れるようになったとき
その関係の中には
もう "命令" は必要なくなっているのかもしれません
順番が逆になっていないか
ブルバ
順番?
代表
安心が先で、そのあとに正しさ
、、ブルバはゆっくりうなずく
ブルバ
でも現場だと、つい正しさから入っちゃうよね
教えなきゃって思うから
代表
そうだね
でも、安心がないところに正しさを置いても、
命令の先にあるもの
命令は、行動を変えることはできる
でも、それは多くの場合、
「納得して動いた結果」ではない
怒られないために
評価を下げないために
罰を避けるために
そうした理由で、人は従う
けれどそこに、信頼は生まれているだろうか
私たちは、つい「正しいことを伝えよう」とする
それは決して間違いではない
けれど、その前に必要なものがある
この人は自分を傷つけない、という安心
この人は自分を理解しようとしてくれる、という感覚そうした土台があってはじめて、
命令は、相手に届く
もしそうだとしたら
親であることや、支援者であることは、
「命令する資格」ではなく、
むしろ、
「安心をつくる責任」なのかもしれない
「なんで?」に立ち返る
「なんで大人は命令できるの?」
その問いに、簡単な答えはない
ただ一つ言えるのは、
人は、命令そのものによってではなく、
関係性の中で動くということ
次回予告
Chapter5|言葉
──言ってはいけない言葉は、言ってはいけないのか?
言葉には
不思議な力があります
人を傷つけることもあれば
人を笑わせることもある
でも
どこからが「悪い言葉」なのでしょう
そして
その線は
本当に決まっているのでしょうか
また一緒に
立ち止まってみましょう