今日も、子どもたちは遊んでいる。 ── 81年後の8月、平和について考える


2026年8月、今日も子どもたちは遊んでいます

積み木を積んだり
走り回ったり
おもちゃを取り合って、
泣いたり。

「もう一回」と言ったり、
お腹が空いたと言ったり、
眠くなって、
少し機嫌が悪くなったり。

そして帰る時間になると、
「またね」
と言って帰っていく

私たちにとっては、
いつもの光景です

でも今日は、

その「いつも」について、
少し考えてみたいと思います

8月15日。
終戦の日です


81年前にも、子どもたちはいた

1945年8月15日。

戦争が終わった日

その日にも、
子どもたちはいました

笑った子もいたでしょう
泣いた子もいたでしょう
お腹を空かせていた子
家族を待っていた子
これから何が起きるのか、
分からなかった子

私たちは、
「1945年」という数字を知っています

戦争について学びます
写真を見ます
映像を見ます
亡くなった人の数を知ります

でも、

その一人ひとりにも、
好きなものがあって、
苦手なものがあって、
家族がいて、
友だちがいて、

昨日があって、
本当なら来るはずだった明日があった

そう考えると、

81年前という時間が、
少し違って見えてきます


「またね」と言えること

子どもたちも私たちも、
よく「またね」と言います

明日も会える
また遊べる
来週もここに来る

そのことを、
ほとんど疑っていません

私たち大人も、
明日の予定を確認ます
来週の予定を話します
来月の行事を考えます
来年のことを考えます

子どもが大きくなったときのことまで、
考えています

それができるのは、

明日が来ることを、
どこかで信じているからです

でも、

明日が来ることを
当たり前に思えない時代が、

確かにありました

そして今も、

世界のどこかには、

明日の予定を立てることさえ
難しい場所があります


平和って、何だろう

「平和」という言葉は、
とても大きな言葉です

戦争がないこと
争いがないこと
命が奪われないこと

もちろん、
それは平和です

でも、

私たちの日常まで
言葉を近づけてみると、

もう少し小さなところにも、
平和はあるのかもしれません

朝起きて、

ごはんを食べる
学校や保育園へ行く
仕事へ行く
誰かと遊ぶ
喧嘩する
仲直りする
好きな音楽を聴く
家族で出かける
疲れたら眠る

そして、

「また明日」

と言う

どれも、

歴史の教科書には載らないような
小さな出来事です

でも、

そういう小さな出来事を
明日も続けられること

それが、
平和なのかもしれません


平和だから、できる仕事

児童発達支援の現場では、

子どもの未来について
たくさん考えます

言葉
身体
人との関わり
自分の気持ち
困ったときに、
どうすればいいか

園や学校へ行ったら
大人になったら
働くようになったら
社会の中で、
どう生きていくのか

私たちは、

何年も先の未来から逆算して、

今、この子に何が必要なのかを
考えています

でも、

そんなことを考えられること自体、
本当はとても幸せなことなのかもしれません

「この子が20歳になったとき」

そんな未来を、
当たり前のように想像できる

来年も、
5年後も、
10年後も、
この子の人生が続いていることを前提に、
支援を考えることができる

それは、

平和な社会だからこそ
できる仕事でもあります


だから、私たちの仕事も平和と無関係ではない

戦争を止めることは、
私たちの仕事ではありません

国と国との問題を
解決することもできません

世界中の争いを、
私たちの力だけでなくすこともできません

でも、

だからといって、

平和と私たちの仕事が
無関係なわけでもないと思っています

誰かを、
「違うから」と排除しないこと

うまくできない人を、
置いていかないこと

自分とは違う考え方をする人のことを、
知ろうとすること

困っている人がいたら、
「どうしたの」と声をかけること

違いがあっても、
同じ場所で生きていく方法を
一緒に考えること

私たちが日々、
子どもたちとの間でやっていることは、

とても小さなことです

でも、

平和というものも、

もしかすると、

そんな小さな関わりの積み重ねの上に
あるのではないでしょうか


「違う」人と、一緒に生きる

人は、
みんな違います

考え方も
感じ方も
得意なことも
苦手なことも

大切にしているものも違います

違うから、
ぶつかることがあります

分かり合えないこともあります

それでも、

「違うから、離れる」だけではなく、
どうすれば一緒にいられるだろう

どうすれば、
お互いが無理をしすぎずにいられるだろう

そう考える

私たちが子どもたちと一緒に考えていることは、

そのまま、

社会にも必要なことなのかもしれません

平和とは、

みんなが同じになることではなく、

違うままで、
一緒に生きていけること

そんなふうにも思います


1945年の続きを生きている

81年前、
戦争が終わりました

でも、

そこで時間が止まったわけではありません

そこから、

誰かが生きました
家族をつくりました
子どもが生まれました

その子どもが、
また誰かと出会いました

そうやって時間がつながり、

2026年の今日があります

私たちも、
その続きにいます

今日、
目の前で遊んでいる子どもたちも、
その続きを生きています

そして、
この子たちの時間も、

また次へ続いていきます


今日も、子どもたちは遊んでいる

今日も、
子どもたちは遊んでいます

笑っています
泣いています
喧嘩もします
うまくいかないこともあります

そして、

また明日があります

それは、

当たり前のようで、
決して当たり前ではないことを、

8月15日くらいは、
思い出してもいいのかもしれません

私たちにできることは、
とても小さい

それでも、

目の前の子どもが、
安心して笑える場所をつくること

違う誰かと、
一緒にいられる方法を考えること

そして、

その子が大人になった未来まで、
当たり前のように想像し続けること

そんな毎日を、
これからも積み重ねていきたいと思います

平和とは、

遠い場所にある
大きな言葉ではなく、

もしかすると、

こういう日常の中にあるものなのかもしれません

明日が来ることを疑わずに、
「またね」と言えること

今日も、
子どもたちは遊んでいます

その光景が、
明日も、
その先も、
ずっと続いていくことを願っています


この問いの続きを、Hello Journalで。

平和について考えていると、

子どもたちのいる場所からだけでは、
考えきれないこともありました

1945年を生きた誰かがいて、
その続きを生きた誰かがいて、
その先に、2026年の私たちがいます

81年後の今を生きる一人の人間として、
もう少しだけ、この問いについて考えました

Hello Journal|Essay
「今日も、子どもたちは遊んでいる」