逆転スペクトル Chapter9 他者 ―― 本当に人は分かり合えるのか

INTRODUCTION

「なんで?」
子どもたちは、ときどき、
大人が簡単には答えられないことを聞いてきます

 なぜ、人を傷つけてはいけないのか
 悪いことをした人には、仕返しをしてもいいのか
 罰は、何のためにあるのか
 なぜ、大人や先生の言うことを聞かなければならないのか
 男の子と女の子って、何が違うのか
 なぜ、人を差別してはいけないのか

大人になると、
いつの間にか「そういうもの」として受け入れていることがあります

でも、

子どもの「なんで?」に立ち止まってみると、
本当は、
私たち大人もよく分かっていないことがあります

この連載「逆転スペクトル」は、
そんな子どもたちの「なんで?」を、
大人の答えで簡単に閉じてしまわず、
もう一度、一緒に考えてみることから始まりました

Chapter1「権利」から、「復讐」「罰」「権威」「言葉」
最初の5つのテーマでは、「道徳を理解する」
ということについて考えてきました。

そして、

「ジェンダー・スポーツ」「差別」「レッテル」
次の3つのテーマでは、
社会の中にある違いや境界を通して、「自分を理解する」
ということについて考えてきました。

そして、Chapter9から、この連載は第三章へ入ります

テーマは、「世界を理解する」

これから考えるのは、
「他者」「多様性」「問い」「人間」

世界を理解する

そう聞くと、

社会の仕組みや、国や文化、
歴史や制度のような、
もっと大きなものを想像するかもしれません

でも、

世界を理解しようとしたとき、
私たちが最初に出会うのは、
もっと身近な存在なのかもしれません

 家族
 友人
 子ども
 先生
 同僚

そして、名前も知らない誰か

つまり、

自分ではない人

今回は、
「他者」について考えてみたいと思います


逆転スペクトル Chapter9

他者 —— 本当に人は分かり合えるのか


「分かってほしい」

ブルバ
「ちゃんと説明したのに、分かってもらえなかったんです」

代表
「何を?」

ブルバ
「ぼくが、どうして嫌だったのか」

代表
「そっか」

ブルバ
「ちゃんと言ったんですよ。でも、『そんなことで?』って」

代表
「それは嫌だったね」

ブルバ
「……代表は、分かってくれるんですか?」

代表
「分かろうとはしてる」

ブルバ
「分かろうとはしてる?」

代表
「ブルバが感じたものと、まったく同じものを感じることはできないからね」

ブルバ
「じゃあ、人って分かり合えないんですか?」

代表
「どうなんだろうね」


私たちは、
誰かに「分かってほしい」と思います

そして、

誰かを「分かりたい」とも思います

でも、

どれだけ言葉を尽くしても、
相手とまったく同じ気持ちになることはできません

同じ出来事を経験しても、
感じ方は違います

私たちは同じ世界に生きながら、
少しずつ違う世界を見ているのかもしれません


「他者」って誰?

ブルバ
「じゃあ、他者って、知らない人のことですか?」

代表
「知らない人もそうだけど、家族だって他者だと思うよ」

ブルバ
「家族も?」

代表
「うん。どれだけ近くても、自分ではないからね」

ブルバ
「でも、知らない人とは全然違いますよ」

代表
「そうだね。だから『自分以外の人』だけでは、少し足りないのかもしれない」

ブルバ
「じゃあ、何ですか?」

代表
「自分とは違う考えや気持ちを持って、自分の思い通りにはならない存在……かな」


日常では、
「他人」と「他者」をほとんど同じ意味で使います

でも、ここでは少し分けて考えてみます

ただ「自分ではない人」ではなく、

 自分とは違う意思を持ち、
 自分の思い通りにはならず、
 それでも、自分の人生に関わってくる存在

 受け入れたいのに、受け入れられない

 分かりたいのに、分からない

ときには、

 受け入れたくなくても、
 その人がそこにいることを認めなければならない

そんな存在を、
ここでは「他者」と呼んでみます


相手の気持ちを考えればいい?

ブルバ
「でも、『相手の気持ちを考えなさい』って言いますよね」

代表
「言うね」

ブルバ
「だったら、ちゃんと考えれば分かるんじゃないですか?」

代表
「その『相手の気持ち』を考えているのは誰?」

ブルバ
「……ぼく」

代表
「じゃあ、それは本当に相手の気持ちかな?」

ブルバ
「……ぼくが想像した、相手の気持ち?」

代表
「そうだよね」


相手の気持ちを想像することは、
誰かと生きるために、とても大切なことです

でも、

想像した相手の気持ちと、
相手が本当に感じていることは、
同じとは限りません

 「あなたのためを思って」
 そうしてあげたことが、

 相手にとっては、
 してほしくないことだった

そんなこともあります

想像することは大切です

でも、

想像したことを「相手そのもの」だと思わないことも、
同じくらい大切なのかもしれません


分からないなら、どうすればいい?

ブルバ
「じゃあ、結局分からないじゃないですか」

代表
「うん」

ブルバ
「うん、って……」

代表
「分からないことって、そんなに悪いことかな?」

ブルバ
「だって、分からなかったら関われないじゃないですか」

代表
「逆かもしれないよ」

ブルバ
「逆?」

代表
「分からないから、聞く」
「分からないから、関わるんじゃない?」


「あの人はこういう人だから」
「きっとこう思っている」
「こういう性格だから」

私たちは、

分からないものに出会うと、
知っている言葉で答えをつけたくなります

    Chapter8|レッテル —— 私たちは、本当に「相手」を見ているのか

でも、

「分かった」と思った瞬間に、
知ろうとすることをやめてしまうこともあります

分からないことは、
関係の終わりではなく、
関係の始まりなのかもしれません


話し合えば、解決する?

ブルバ
「じゃあ、ちゃんと話せばいいんですね」

代表
「それでも解決しないことはあるよ」

ブルバ
「え?」

代表
「ブルバは遊びたい。僕は仕事をしなきゃいけない」

ブルバ
「仕事をやめればいいじゃないですか」

代表
「困るなあ」

ブルバ
「じゃあ、ぼくが我慢する?」

代表
「それも一つの答えだね」

ブルバ
「どっちが正しいんですか?」

代表
「どっちも間違ってないんじゃない?」

ブルバ
「……それが一番困ります」

代表
「そうなんだよね」


人と人の間で起きる問題には、
正解があるとは限りません

どちらかが間違っているなら、
間違いを直せばいい

でも、

どちらも間違っていないのに、
両方を叶えることができないことがあります

相手を大切にすれば、自分が苦しくなる

自分を守れば、相手を傷つけるかもしれない

どちらを選んでも、

何かを得て、
何かを失う

他者と生きるということには、
そんな葛藤がついてまわるのかもしれません


葛藤なんて、ない方がいい?

ブルバ
「だったら、他者って面倒ですね」

代表
「面倒だね」

ブルバ
「葛藤なんて、ない方がいいじゃないですか」

代表
「そうかな」

ブルバ
「違うんですか?」

代表
「ブルバは、自分が何をされたら怒るか知ってる?」

ブルバ
「……たぶん」

代表
「どうやって知ったの?」

ブルバ
「誰かにされて、嫌だったから?」

代表
「じゃあ、他者がいなかったら?」

ブルバ
「……分からなかった?」


誰かに否定されて、
自分は否定されることがこんなに嫌だったのだと気づく

誰かを羨ましいと思って、
自分が本当に欲しかったものに気づく

誰かと意見がぶつかって、
自分が何を大切にしているのかに気づく

私たちは、
自分一人で自分を知っているようで、

他者との関係の中で、
初めて見つける自分があります

他者と出会うことで、自分の輪郭が見えてくる

他者は、
自分を困らせる存在であると同時に、
自分を映し出す存在でもあるのかもしれません


じゃあ、相手に合わせれば成長する?

ブルバ
「分かりました。じゃあ、相手に合わせればいいんですね」

代表
「それも違うと思う」

ブルバ
「難しいなあ……」

代表
「相手に合わせ続けたら、今度はブルバがいなくなっちゃうかもしれない」

ブルバ
「じゃあ、どうすれば?」

代表
「だから、葛藤するんじゃない?」

ブルバ
「また葛藤……」

代表
「自分がいる。相手もいる。その両方をなくさない方法を考える」


他者と関わることは、
自分を捨てることではありません
相手を自分と同じにすることでもありません

 自分には、自分の考えがある
 相手には、相手の考えがある

その二つが出会うから、
簡単には答えが出ません

だから、話す
考える
間違える
謝る
言い直す

ときには離れる

そして、

また考える

そんな経験の中で、
人は少しずつ、
人との付き合い方だけではなく、
「人間」というものを知っていくのかもしれません


一人で生きればいい?

ブルバ
「でも、ぼく、一人でいたい日もありますよ」

代表
「僕もあるよ」

ブルバ
「じゃあ、他者と関わらないで生きることもできますよね?」

代表
「今いるこの部屋を見てみようか」

ブルバ
「部屋?」

代表
「机は誰が作ったんだろう」

ブルバ
「知らない人」

代表
「服は?」

ブルバ
「知らない人」

代表
「今日食べたものは?」

ブルバ
「……知らない人が作った」

代表
「一人でいるときも、本当に一人なのかな」

ブルバ
「……他者だらけですね」


私たちは、
いつも自分とは異なる存在に囲まれて生きています

家族、友人、同僚、
店員、
同じ電車に乗った人、
道ですれ違った人

そして、

会ったことすらない誰か

自分で育てていないものを食べ、
自分で作っていない服を着て、
知らない誰かがつくった道路を歩く

自分の部屋で一人でいるときでさえ、
私たちの生活は、
無数の他者によって支えられています

人は、
他者から完全に離れて生きることは、
できないのかもしれません


世界を理解するって?

ブルバ
「でも、世界を理解するって、もっと大きな話だと思ってました」

代表
「たとえば?」

ブルバ
「国とか、社会とか、文化とか」

代表
「うん。それも世界だと思う」

ブルバ
「じゃあ、なんで最初が『他者』なんですか?」

代表
「その世界には、誰がいる?」

ブルバ
「……人?」

代表
「うん」

ブルバ
「自分とは違う人たち?」

代表
「そうだね」

ブルバ
「じゃあ……世界を知るって、人を知ること?」

代表
「僕は、そうなのかもしれないと思ってる」

ブルバ
「でも、人のことは完全には分からないんですよね?」

代表
「だから、考え続けるんじゃないかな」


私たちは、
自分とは違う人たちと生きています

考え方も、
感じ方も、
育ってきた環境も、
大切にしているものも違います

その違いは、
ときに私たちを困らせます

分かり合えない
思い通りにならない
どちらが正しいとも言えない

でも、

その「違う誰か」と出会うことで、

私たちは初めて、
自分が何を大切にしているのかを知ることがあります

自分とは違う考え方があることを知り、
自分とは違う世界の見え方があることを知ります

世界が広がるということは、
知っている場所が増えることだけではないのかもしれません

自分とは違う人が見ている世界を、
想像できるようになること

そして今、
私たちが生きる社会には、

さまざまな生き方、
価値観、
文化、
背景を持った人たちがいます

その違いを、
なくすことはできません

たぶん、
なくす必要もありません

だからこそ、

自分とは異なる「他者」について考えることは、
これからの世界を生きていくために、
避けて通れない問いなのだと思います

他者を考えることは、
世界を考えること

そしてそれは、

自分とは何者なのかを、
もう一度考えることでもあるのかもしれません


次回予告

ブルバ
「じゃあ、違う人がたくさんいることが『多様性』なんですか?」

代表
「どうなんだろうね」

ブルバ
「また、それですか」

代表
「じゃあ、一緒に考えてみようか」

世界には、
自分とは違う人がいます

考え方も、
身体も、
文化も、
生き方も、
得意なことも、
苦手なことも、何もかも違います

でも、
違う人がたくさんいれば、

それだけで「多様な社会」なのでしょうか

それとも、

違う人が、
違うままそこにいられることなのでしょうか

次回、逆転スペクトル Chapter10
「多様性 —— 違うままで、一緒にいられるのか」

について考えてみたいと思います