逆転スペクトル Chapter8 レッテル ―― その人らしさは、一言で説明できるのか

INTRODUCTION

前回は、

私たちは、誰かを「違う」と感じたとき、
本当に見ているのは、相手なのでしょうか
それとも、
自分の中にある "当たり前" なのでしょうか

ということについて考えました

私たちは、

世界を理解するために、
「普通」という基準をつくります

そして同じように、

人を理解しようとするときも、
自然と言葉を使っています

「あの人は優しい」
「あの子は落ち着きがない」
「あの人は真面目」
「あの子は人見知り」

そうやって言葉をつけることで、
私たちは相手を理解したような気持ちになります

それは悪いことではありません

むしろ、

人を理解するために必要な力です

でも、

その言葉は、
本当にその人を表しているのでしょうか

今回は、
「レッテル」というテーマについて考えてみたいと思います


逆転スペクトル Chapter8
レッテル ——その人らしさは、一言で説明できるのか


ブルバとの対話

ブルバ
「あの子って、そういう子だよね」

代表
「そういう子?」

ブルバ
「うん。落ち着きがない子」

代表
「昨日も?」

ブルバ
「え?」

代表
「先週も?」

ブルバ
「……。」

代表
「その子は毎日同じだった?」

ブルバ
「そう言われると……違ったかも」

代表
「じゃあ、その子を見ていたのかな。
 それとも、一度つけた名前を見ていたのかな」


人は、言葉をつけながら人を理解している

私たちは、

分からないものを理解しようとします

だから、

言葉を使います

「あの人って、真面目だよね」
「優しい人だよね」
「人見知りだよね」
「発達障害だから」
「管理者だから」
「保護者だから」

私たちは、

人を理解しようとするとき、
自然とそんな言葉を使っています

では、ここで少しだけ、
あなた自身のことを考えてみてください

あなたは最近、誰にどんな言葉をつけたでしょうか

どれも、

相手を理解するための言葉だと思います

言葉があるから、

私たちは複雑な世界を整理できます

だから、

レッテルそのものが悪いわけではありません

問題は、

その言葉をつけることではありません

その言葉をつけた瞬間に、
理解したつもりになってしまうことです

その言葉は、
どこで覚えたのでしょう

自分で見つけたのでしょうか
誰かから聞いたのでしょうか

それとも、

いつの間にか、
当たり前になっていたのでしょうか

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Chapter7「差別」

「普通」は誰が決めたのでしょうか


私たちは、人ではなく「イメージ」を見ていることがある

例えば、
「あの人は怒りっぽい」
と思うと、

穏やかな姿を見ても、
「今日は機嫌がいいだけ」
と思ってしまうことがあります

その人は、
本当に怒りっぽいのでしょうか

それとも、

怒っている姿だけが、
あなたの記憶に残っているのでしょうか

「あの子は落ち着きがない」

と思うと、

静かに遊べていた時間より、
立ち歩いた場面の方が印象に残ります

一度できたイメージは、
その後に見るものまで、
少しずつ変えてしまいます

私たちは、

目の前の人を見ているようで、

実は、

自分の頭の中にある "その人像" を見ていることがあります

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Chapter5「言葉」

言葉は、私たちの世界をどのようにつくっているのでしょうか


支援の現場でも同じです

発達支援の現場でも、

同じことが起こります

診断名は、
支援を考えるための大切な情報です

でも、

診断名は、
子どもそのものではありません

同じ診断名でも、

 好きな遊びは違います
 苦手なことも違います
 安心できる場所も違います
 困っている理由も違います

昨日と今日ですら、
違う姿を見せます

診断名は、
子どもを理解する入口にはなります

でも、
ゴールにはなりません

もし、

診断名を知らなかったら

あなたは、
その子を、
どんな子だと思ったでしょう

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「大丈夫」は、本当に大丈夫?(子どもを一面的に見ない視点)

「様子を見ましょう」の、その先にあるもの(状態ではなく変化を見る視点)


発達支援だけの話ではありません

採用でも、
「保育士」という資格だけでは、
その人は分かりません

組織でも、
「管理者」という役職だけでは、
その人は分かりません

保護者も、
会社も、
地域も同じです

私たちは、
名前を知ることで安心します

でも、

名前を知ることと、
相手を知ることは、
同じではありません

人は、名前だけでは生きていません

一人ひとりが、
言葉では語りきれない人生を歩いています


人を理解するということ

レッテルや印象は、
その人を理解する入口にはなります

でも、

その人そのものにはなりません

人は、
毎日少しずつ変わります

見る人によっても、
違って見えます

一つの言葉では、
語りきれない存在です

だから、

人を理解するということは、
一つの答えを持つことではなく、
その人を知り続けようとすることなのかもしれません

言葉は、
入口です

その先にいる人まで見ようとしたとき、

初めて、
「理解する」
ということが始まるのかもしれません

もし、
今日出会う人の、

肩書きも、
診断名も、
年齢も、
職業も、

何も知らなかったとしたら

あなたは、
その人を、
どんなふうに見ようとするでしょうか


次回予告

「分かってほしい」
そう願ったことはありませんか

でも、

私たちは本当に、
誰かを理解することはできるのでしょうか

そして、

理解できない相手と、
どうすれば一緒に生きていけるのでしょう

次回は、

逆転スペクトル Chapter9
「他者──本当に人は分かり合えるのか」

について考えてみたいと思います